ADHDに社会生活は難しい

中学校2年間が不登校だった自分が当時の気持ちを振り返る。社会人になるまでの壁と両親との関係。

元不登校が学校に行かなくなった3つの原因

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中学校。さまざまな思いが入り混じる思春期の大切な時間を私は、半分以上自宅のなかで過ごしてきました。
当時は、なんとなく過ごしてしまっていたが大学で学んだ教育学の知識を元に自分が不登校になってしまった原因を振り返っていきたいと思います。この記事を読んだ保護者さんが子育てのヒントになったらうれしいです。

 

「私のこと」

〇今の自分

中学校2年生夏に部活動の顧問の先生とのトラブルをきっかけに不登校になる。その後は、全寮制の高校を卒業し、4年制の大学教育学部に入学。小学校と特別支援学校の教員免許を取得。現在は、介護職員をしています。
高校生の時に親元を離れたのがとてもいい経験になりました。両親に監視(心配で様子をみていただけ)されていた日常から解放され、新しい価値観にも出会い引きこもりから脱却することができました。

 

〇自分の性格

プライドが高く、真面目な性格。中学生の時は、両親が教育熱心だったこともあり勉強がほかの人よりできていないことが許せなかったです。自分の存在意義は「他者よりも優れていること」であると本気で思い込んでいました。テスト前には不安で体調不良になるほどのプレッシャーにもなっていました。

 

〇私の家族

田舎の一軒家に祖父母、両親、兄、自分の6人で住んでいました。
父・・・子育てにあまり積極的には参加しない。感情を表に出すことが多くあり大き
    な声で怒鳴られるのに怯える自分。

母・・・教育熱心で自分たちに過度な期待。
    自分の習い事も水泳、サッカー、書道、塾、ピアノとかなりの量。

祖父母・嫁姑の関係に溝。

兄・・・思春期に大暴れ。両親や自分に暴力。声をかけるのも怖い。

 

「原因」

1.母との依存関係

当時の自分はとにかく母のいうことが正解だと思い込んでいた。それだけ自分に尽くしてくれていたのだと思うがその結果が引かれたレールを外れたら精神が不安定になってしまうことを引き起こしました。
自分で考えて行動のできるだけの力がありませんでした。

 

2.安心できる環境

学校も家庭も安心でいる環境でなくなってしまいました。学校では、授業中に徘徊する先輩、アルコールランプで花火する生徒、クラス内でのいじめ。
家庭では、成績のことや思春期で暴れる兄の心配をしていました。自分のリラックスできる環境だったのは部活動と習い事でした。ですが部活の顧問とのトラブルがきっかけで学校にいけなくなました。
習い事も自分の通っていた中学の生徒とつながりのある人を見つけると学校に行けていないことがばれるのが嫌でいけなくなってしまった。

 

3.自分の考え方

中学生の時は、失敗することが許されないと思いこんでいました。完璧主義なところがあり、少しでもうまくいかないと投げ出してしまう。粘り強さがなかったのも不登校の原因も一つだと思います。

 

「最後に」

当時は、どうしようもない自分がとにかく嫌いでした。でも親以外のたくさんの人の考え方を知ること。失敗を学ぶことでだんだん別に人生なんとかなるなと知ってからは、堂々と自分の考えで生活することができるようになってきました。
成功体験を積むことと同じように失敗しても大丈夫だと思える気持ちも育てることが大切だと思います。
不登校のうちは周りが見えなくなってしまっていますがいつか両親がやってくれていたことに感謝するときがきます。
安心できる居場所。失敗しても大丈夫という気持ち。自分で考えて動く行動力をつけさせてあげることが大切だと私は思います。
このブログを読んで少しでも保護者の方、当事者の気持ちが楽になることができたらいいなと思い書きました。