ADHDに社会生活は難しい

中学校2年間が不登校だった自分が当時の気持ちを振り返る。社会人になるまでの壁と両親との関係。

私が不登校の時に両親にしてほしくなかった3つのこと

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中学校2年生の夏頃から卒業するまで不登校だった自分。社会から切り離されたところで生活していた自分にとって日常の中で関わりがあるのは、家族だけでした。
不登校になり、精神的不安定になっていた自分は唯一の繋がりのある人。「家族」からも関わりを持ちたくないとしだいに思うようになってしまいました。
今回は、自分がなぜ家族からも孤立しようとしたのか理由を大学で学んだ教育学の知識を元に振り返っていきたいと思います。

 

「2種類の不登校の原因」

・両親に言えること

学校での教師とのトラブルなどの大人とのこと

自分は、子供VS大人の構図になっていることは、両親にも相談できました。学校で先生とトラブルがあったことや習い事の先生のことは両親に打ち明けることができ大人の力を借りて解決することができます。

 

・両親にも隠したいこと

いじめのことや友達とのトラブルなどの子供社会のこと

自分が学校で友人との関係があまり良好でないこと、スクールカーストでの自分の立ち位置は相談することができませんでした。
子供社会の中では、子供同士の間のトラブルを大人の力に頼ることがいいことだと思わない風習があります。それをやるとずるいんです。どうしたって大人を味方につけた子供が強くなってしまう。味方になってくれる大人がいる場では、問題は起きないかもしれない。でもそれは、大人に監視されていない時の解決につながらない。大人の力ではどうにもできないと思っているし、相談したら心配した両親が先生に報告して事態が悪化するかもしれない。それを恐れて相談できないんです。

 

「両親にしてほしくなかった3つのこと」

 

・自分の気持ちをわかってくれない

不登校で引きこもっている時、私は両親を遠ざけるような行動をしていました。自分にとって嫌なことをして本当に介入されたくない時もありましたが内心は、親なのになぜ自分の気持ちをわかってくれないんだと思っていました。
自分では、口に出さない学校でのトラブルも自分の今の気持ちも理解してくれよ。なんで学校でつらい思いしてるのに行けない自分が悪者扱いされなきゃいけないんだよって感情がいつもありました。

 

・無理やり外に出そうとする

当時の自分にとって家の外に出ることはとにかく気力と体力が必要なことでした。周りの人が笑っていると自分が笑われているような気がすること。普段学生が生活している時間に町を歩いていて不審に思われていないか不安になっていました。
本当に家の外に出るのが嫌で嫌で。近所のコンビニに行くだけで髪の毛をセットしておしゃれしてってしないといけないくらいでした。
健常者の海外旅行くらいハードルが高いことだったと思います。

 

・ゲームを取り上げる

学校に行けない、家の外でのコミュニティが全くなかった自分にとってスマホゲームとテレビは唯一の楽しみでした。ゲームの中では人とつながってられる。孤独な日々の中でネットの世界でのつながりに助けられていました。
その唯一のつながりをゲームばかりするなネットの関係なんてよくないと取り上げられるのは、自分の唯一の居場所を奪う行為でした。

 

「最後に」

私は、不登校の子どもを持つ家族が一番やってはいけないことは両親VS子どもの構図を作ることだと思います。
不登校になるような子は真面目な子が多く学校や家庭での生活にストレスを感じ引きこもっている子が多いと思います。実際自分も休みたくて休んでいるのではなく、学校に行かなければいけないのはわかっているが勉強についていけない恐怖や学校でのトラブルに対する恐怖に体が拒絶してしまいどうしてもいけなくなってしまいました。
一番近くで支えられる存在の両親に頑張っているのにどうしても行くことができないのにそれを理解してもらえないこと。
弱いだけだと思われることがとてもつらいと感じることも多くありました。
どうか不登校の子供がいる両親の方、そういった友達がいる方寄り添ってあげてください。
頑張ているよって、学校に行ってなくでも人生なんとかなるよって声をかけてあげてください。引きこもっているほうも少しずつ心を開いてくれると思います。

 

 

元不登校が学校に行かなくなった3つの原因

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中学校。さまざまな思いが入り混じる思春期の大切な時間を私は、半分以上自宅のなかで過ごしてきました。
当時は、なんとなく過ごしてしまっていたが大学で学んだ教育学の知識を元に自分が不登校になってしまった原因を振り返っていきたいと思います。この記事を読んだ保護者さんが子育てのヒントになったらうれしいです。

 

「私のこと」

〇今の自分

中学校2年生夏に部活動の顧問の先生とのトラブルをきっかけに不登校になる。その後は、全寮制の高校を卒業し、4年制の大学教育学部に入学。小学校と特別支援学校の教員免許を取得。現在は、介護職員をしています。
高校生の時に親元を離れたのがとてもいい経験になりました。両親に監視(心配で様子をみていただけ)されていた日常から解放され、新しい価値観にも出会い引きこもりから脱却することができました。

 

〇自分の性格

プライドが高く、真面目な性格。中学生の時は、両親が教育熱心だったこともあり勉強がほかの人よりできていないことが許せなかったです。自分の存在意義は「他者よりも優れていること」であると本気で思い込んでいました。テスト前には不安で体調不良になるほどのプレッシャーにもなっていました。

 

〇私の家族

田舎の一軒家に祖父母、両親、兄、自分の6人で住んでいました。
父・・・子育てにあまり積極的には参加しない。感情を表に出すことが多くあり大き
    な声で怒鳴られるのに怯える自分。

母・・・教育熱心で自分たちに過度な期待。
    自分の習い事も水泳、サッカー、書道、塾、ピアノとかなりの量。

祖父母・嫁姑の関係に溝。

兄・・・思春期に大暴れ。両親や自分に暴力。声をかけるのも怖い。

 

「原因」

1.母との依存関係

当時の自分はとにかく母のいうことが正解だと思い込んでいた。それだけ自分に尽くしてくれていたのだと思うがその結果が引かれたレールを外れたら精神が不安定になってしまうことを引き起こしました。
自分で考えて行動のできるだけの力がありませんでした。

 

2.安心できる環境

学校も家庭も安心でいる環境でなくなってしまいました。学校では、授業中に徘徊する先輩、アルコールランプで花火する生徒、クラス内でのいじめ。
家庭では、成績のことや思春期で暴れる兄の心配をしていました。自分のリラックスできる環境だったのは部活動と習い事でした。ですが部活の顧問とのトラブルがきっかけで学校にいけなくなました。
習い事も自分の通っていた中学の生徒とつながりのある人を見つけると学校に行けていないことがばれるのが嫌でいけなくなってしまった。

 

3.自分の考え方

中学生の時は、失敗することが許されないと思いこんでいました。完璧主義なところがあり、少しでもうまくいかないと投げ出してしまう。粘り強さがなかったのも不登校の原因も一つだと思います。

 

「最後に」

当時は、どうしようもない自分がとにかく嫌いでした。でも親以外のたくさんの人の考え方を知ること。失敗を学ぶことでだんだん別に人生なんとかなるなと知ってからは、堂々と自分の考えで生活することができるようになってきました。
成功体験を積むことと同じように失敗しても大丈夫だと思える気持ちも育てることが大切だと思います。
不登校のうちは周りが見えなくなってしまっていますがいつか両親がやってくれていたことに感謝するときがきます。
安心できる居場所。失敗しても大丈夫という気持ち。自分で考えて動く行動力をつけさせてあげることが大切だと私は思います。
このブログを読んで少しでも保護者の方、当事者の気持ちが楽になることができたらいいなと思い書きました。